2006年01月21日

「論語」 孔子

子曰く、由よ、女に之を知るを誨えんか。之を知るは之を知ると為し、知らざるは知らずと為す、是れ知るなり。
posted by ヒメスケ at 21:04| 番外編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「論語」 孔子

子曰く、巧言令色、鮮なし仁。
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2006年01月05日

「家康公御遺訓」 徳川家康

人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如

し、いそぐべからず。不自由を常と思えば

不足なし。心にのぞみおこらば困窮したる

時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基。

怒は敵と思え。勝つ事ばかり知って負くる

事を知らざれば、害、その身に至る。己を

責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたる

より勝れり。

慶長八年正月十五日
家康
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2005年08月23日

「バカの壁」 養老孟司

 徳川家康は「人の人生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」と言いました。この言葉をその通りだと思う人が、今時どのくらいいるのかは分かりません。私は遠き道を行くどころか、人生は崖登りだと思っています。
 崖登りは苦しいけれど、一歩上がれば視界がそれだけ開ける。しかし、一歩上がるのは大変です。手を離したら千仞の谷底にまっ逆さまです。人生とはそういうものだと思う。だから、だれだって楽をしたい。
 原理主義に身をゆだねるのは手を離すことに相当する。谷底にまっ逆さまだけれど、それは離れている人から見ての状態で、本人は、落ちて気持ちがいい。それだけのことでしょう。
 人生は家康型なのです。一歩上がれば、それだけ遠くが見えるようになるけれども、一歩上がるのは容易じゃない、荷物を背負っているから。しかし身体を動かさないと見えない風景は確実にある。

(中略)


 知的労働とは重荷を背負うことです。物を考えるということは決して楽なことじゃないよということを教えているつもりです。それでも、学問について、多くの学生が、考えることについて楽をしたいと思っているのであれば、、そこにはやはり、もうどうしようもない壁がある。それはわかる、わからないの能力の問題ではなくて、実は、モチベーションの問題です。それが非常に怖い。
 崖を一歩登って見晴らしを少しでもよくする、というのが動機じゃなくなってきた。知ることによって世界の見方が変わる、ということがわからなくなってきた。愛人とか競走馬を持つのがモチベーションになってしまっている。そうじゃなければカルト宗教の教義を「学んでいる」と言って楽をしているか。
posted by ヒメスケ at 01:48| 番外編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「バカの壁」 養老孟司

 江戸時代でも、士農工商と支配階級を固定して、武士だけに武器を持たせ、徹底的に有利にしておいて、やっと百姓とのバランスがとれていた。そのぐらい、都会の人間というのは弱い存在なのです。
 この強さは、人間にとっては食うことが前提で、それを握っているのは百姓だということに起因しています。何も難しい話しではない。終戦直後の混乱期に高い着物を一反持っていって、米は少ししかくれないなんてことはざらでした。そんなことは私の世代は体験的にわかっていることです。
 基盤となるものを持たない人間はいかに弱いものか、ということの表れです。しかし、今は殆どの人が都会の人間になっていますから、非常に弱くなった。その弱いところにつけ込んでくるのが宗教で、典型が一元論的な宗教です。
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「バカの壁」 養老孟司

百万円がないと首をくくった人もいれば、何億円も一瞬で稼いで、ドブに捨てるみたいに使っているやつもいる。金額の大きい方は、お金を触ってすらいない。武器でいえばミサイルとか原爆と同様の世界になっている。欲望が抑制されないと、どんどん身体から離れたものになっていく。根底にあるのは、その方向に進むものには、ブレーキがかかっていない、ということです。
posted by ヒメスケ at 01:24| 番外編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「バカの壁」 養老孟司

サラリーマンというのは、給料の出所に忠実な人であって、仕事に忠実なのではない。職人と言うのは、仕事に忠実じゃないと食えない。自分の作る作品に対して責任を持たなくてはいけない。
posted by ヒメスケ at 01:20| 番外編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「バカの壁」 養老孟司

意味を見出せない閉塞感が、自殺を始めとした様々な問題の原因となっています。かつて脚本家の山田太一さんと対談した際、彼は「日本のサラリーマンの大半が天変地異を期待している」と言っていました。もはや自分の力だけでは閉塞感から脱することが出来ない、という無意識の表れでしょう。実際には意味について考え続けること自体が大切な作業なのです。フランクルの言葉を借りれば、人生が常に私たちにそれを問うているのです。
posted by ヒメスケ at 01:18| 番外編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「バカの壁」 養老孟司

病気の苦しみには何か意味があるのか。医師の中には、そんなものには何の意味も無いとして、取り去ることを至上のこととする人もいるでしょう。しかし、実際にはその苦痛にも何か意味がある、と考えるべきなのです。苦痛を悪だと考えてはいけない。そうでないと、患者は苦痛で苦しいうえに、その状態に意味が無いことになって、二重の苦しみを味わうことになる。
posted by ヒメスケ at 01:13| 番外編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月18日

「バカの壁」 養老孟司

「知るということは根本的にはガンの告知だ」ということでした。学生には、「君たちだってガンになることがある。ガンになって、治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう」と話してみます。
 この話しは非常にわかり易いようで、学生にも通じる。そのぐらいのイマジネーションは彼らだって持っている。
 その桜が違って見えた段階で、去年までどういう思いであの桜を見ていたか考えてみろ。多分、思い出せない。では、桜が変わったのか。そうではない。それは自分が変わったということに過ぎない。知るということはそういうことなのです。
 知るということは、自分がガラッと変わることです。したがって、世界が全く変わってしまう。見え方が変わってしまう。それが昨日までと殆ど同じ世界でも。
posted by ヒメスケ at 22:10| 番外編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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