2005年12月17日

「愛の渇き」 三島由紀夫

……多分、悦子は、溺れる人が心ならずも飲む海水のように、自然の法則にしたがってそれを飲んだにすぎぬのであろう。何も望まないということは、取捨選択の権限を失うことだ。そういった手前、飲み干さねばならぬ。海水であろうと……。
……ところがその後の悦子にも、溺死する女の苦渋の表情は見られなかった。死の瞬間まで、彼女の溺死は人に気附かれずにすぎるのかもしれなかった。彼女は叫ばない。われとわが手で猿轡をはめたこの女は。
posted by ヒメスケ at 23:52| 三島由紀夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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