2005年11月20日

「仮面の告白」 三島由紀夫

好奇心には道徳がないのである。もしかするとそれは人間のもちうるもっとも不徳な欲望かもしれない。
posted by ヒメスケ at 14:07| 三島由紀夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「仮面の告白」 三島由紀夫

昭和二十年の冬はしつこかった。春がもう豹のような忍び足で訪れていはしたものの、冬はまだ檻のように、仄暗く頑なに、その前面に立ちふさがっていた。星明りにはまだ氷の輝きがあった
posted by ヒメスケ at 13:31| 三島由紀夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「仮面の告白」 三島由紀夫

恋人を救おうとして死んだ男は、火に殺されたのではなく、恋人に殺されたのであり、子供を救おうとして死んだ母親は、他ならぬ子供に殺されたのである。
posted by ヒメスケ at 13:27| 三島由紀夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「仮面の告白」 三島由紀夫

私が求めていたのは何か天然自然の自殺であった。まだ狡知長けやらぬ狐のように、山ぞいをのほほんと歩いていて、自分の無知ゆえに猟師に射たれるような死に方を、と私はねがった。
posted by ヒメスケ at 13:24| 三島由紀夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「仮面の告白」 三島由紀夫

空襲を人一倍おそれているくせに、同時に私は何か甘い期待で死を待ちかねてもいた。たびたび言うように、私には未来が重荷なのであった。人生ははじめから義務観念で私をしめつけた。義務の遂行が私にとって不可能であることがわかっていながら、人生は私を、義務不履行の故をもって責めさいなむのであった。こんな人生に死で肩すかしを喰わせてやったら、さぞやせいせいすることだろうと私には思われた。
posted by ヒメスケ at 13:20| 三島由紀夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「仮面の告白」 三島由紀夫

生命力、ただ生命力の無益な夥しさが少年たちを圧服したのだった。生命のなかにある過度な感じ、暴力的な、全く生命それ自身のためとしか説明のつかない無目的な感じ、この一種不快なよそよそしい充溢が彼らを圧倒した。一つの生命が、彼自身のしらぬ間に近江の肉体へしのび入り、彼を占領し、彼を突き破り、彼から溢れ出で、間がな隙がな彼を凌駕しようとたくらんでいた。生命というものはこの点で病気に似ていた。荒々しい生命に蝕まれた彼の肉体は伝染をおそれぬ狂おしい献身のためにだけ、この世に置かれてあるものだった。伝染をおそれる人々の目には、その肉体は一つの非難として映る筈だった。
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「仮面の告白」 三島由紀夫

初夏の一日、それは夏の仕立見本のような一日であり、いわばまた、夏の舞台稽古のような一日だった。本当の夏が来るときに万遺漏ないように、夏の先駆が一日だけ、人々の衣装箪笥をしらべに来るのだった。この検査がとおったしるしに、人々はその日だけ夏のシャツを着て出るのである。
posted by ヒメスケ at 13:05| 三島由紀夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「仮面の告白」 三島由紀夫

靴がようやく埋れる程度の雪だった。陽が昇りきらないうちは、景色は雪のために美しくはなく陰惨にみえた。街の風景の傷口をかくしている薄汚れた繃帯のようにそれがみえた。街の美しさは傷口の美しさに他ならないからだ。
posted by ヒメスケ at 13:00| 三島由紀夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「仮面の告白」 三島由紀夫

私の生涯の不安の総計のいわば献立表を、私はまだそれが読めないうちから与えられていた。私はただナプキンをかけて食卓に向かっていればよかった。
posted by ヒメスケ at 12:53| 三島由紀夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月05日

遺言 森林太郎

死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ奈何ナル官憲威力ト雖モ此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス
posted by ヒメスケ at 00:58| 森鴎外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「なかじきり」 森鴎外

わたくしは何をもしていない。一閑人として生存している。しかし人間はエジエタチイフにのみ生くることあたわざるものである。人間は生きている限は思量する。閑人がおうおう碁を囲み骨牌を弄ぶゆえんである。
posted by ヒメスケ at 00:45| 森鴎外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「渋江抽斎」 森鴎外

安政五年に抽斎の没した時、長八は葬式の世話をして家に帰り、例によって晩酌の一合を傾けた。そして「あの檀那様がお亡くなりなすってみれば、己もお供をしてもいいな」と言った。それから二階に上がって寝たが、翌朝起きて来ぬので女房が往ってみると、長八は死んでいたそうである。
posted by ヒメスケ at 00:31| 森鴎外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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